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金色の翼 第57話「守りたいもの」 9月18日(火) [金色の翼]

この期に及んで思うんのは、槙のセリフを借りるなら
「俺は金翼に嵌っているのか? それとも嵌った振りをしてるだけなのか?」
そんな感じです。
いろんな謎が徐々に解けてきて、普通にストーリーが妙に気になります。
二人のラブストーリーはすっかり忘れてる感はあるんですけどね。
大人の官能はどこへ行ったんじゃー!!

最近、考え事をしてるかあっけにとられるか
睨む顔ばっかりな槙なのでした。←突っ込みづらいじょー

コメしようもないのでお顔だけ見てくださいな。


あほずえぇ〜ついてぇ〜♪


いや、ほんとはこの後の慌てぶりをキャプりたかったんだけど、動きが早杉でぶれたの。
。。



ふ〜ん、やっぱり幽霊騒ぎはこの二人の仕業だったんだ
(それにしても、この手際の良さってまるでホストくん・・・ぼそっ)


ぎゃー、絹子さんが背後霊に見える〜

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金色の翼 第56話「秘密」 9月17日(月) [金色の翼]

HDの整理をしようと録画してあった「金翼」の第一話を見返してみたら
オンエアー時には、静かにまるで何事もなく始まったように感じたのに
今、この時点で見てみると
それぞれの登場人物の言葉や行動が何だか意味深に見えてしまいました。

槙と修子の出会いのシーンで槙がふらつく修子を抱きとめると、
一瞬目を見交わしたもののすぐに視線をそらし、一人振り返ることもなく歩いてゆく修子。
そして、そんな修子の寂しげな様子を見つめるだけの槙。

なんだか、今の二人の関係を見るようでした。

槙が理生の気持ちを受け入れたのも第一話の中でした。
確かに理生を求めたはずの槙が、今日は理生を思って突き放したのでした。
理生のことを想う石野シェフの言葉が響いたのか、
それともいつかそうしなければならないことを槙自身気づいていたのかそれはわかりません。
けれども、相手が自分を思う気持ちを知りながら突き放さなければならない。
そういう痛みを槙が心に深く感じることで、
修子が自分のことを突き放さなくてはならない理由を知ったとき、
槙はその心の痛みを身をもって知るのでしょうか。


健気に片付けようとしたのにねー


「えっ?」 いらないってさ。出ておいきってさ


「何で俺だけ出されるんだ?」 
セツさんには写真なんか渡しちゃって優しいのに、修子とはなんで無駄に睨み合ってんだ?

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金色の翼 第55話「幽霊」 9月14日(金) [金色の翼]

タイトルの幽霊。
肉体が消滅した後も、この世(娑婆)に未練や恨みがあるために成仏できない死者の霊。
存在が科学的に確認された例はなく、フィクションの世界にはよく登場します。
日本の物語の「怪談」において、世界に類例のない「幽霊」の文化を持っていて
幽霊のイメージは女性で、髪は長くて乱れ、ひたいに三角の布が貼り付けてあり、白い帷子(かたびら)を着ていて足がないというものです。

平家の落ち武者や大戦での戦死者のように、死んだときの姿のまま現れると言われる幽霊は亡霊と呼ばれ大別されます。

幽霊、亡霊と類似のものに、お化けがありますが、お化けという響きには怖さよりもキャラクター化されたイメージがあるものです。
例えば、お化けのQ太郎は可愛いですもんね。(ふるっ!)

西洋のお幽霊はゴーストと呼ばれ、訳ではそのまま「幽霊」ですけど、そのイメージは日本の幽霊とは異なり、足もあります。

妖怪は人間の霊とは関係なく、物の怪(もののけ)。
人間には理解できない奇怪で異常な現象を象徴する超自然的存在、あるいは不可思議な能力を発揮する日本の民間伝承上の非日常的存在。
つまり、鬼、天狗、河童など。早い話が水木しげるさんの世界ですね。

お話の中に登場する、片足だけの靴跡を見たとき、思わず
「傘化けかよっ!」と突っ込んでしまいました。
もっとも「傘化け(からかさこぞう,唐傘小僧)」は作業用の靴ではなく下駄を履いてますけど。
この「傘化け」、暗くなってから家の周りを飛び跳ね、人に出会うと大きな赤い舌を出して驚かす程度で、特に悪さをしないのが特徴。
だからもう幽霊の正体は「傘化け」っていうことでいいじゃないですか。
えっ? 良くないって。

ああ、壇兄さんの幽霊ならお会いして見隊! ←どあほ


槙を見たセツさんたら・・・

まるで幽霊を見たような驚きよう


女なら誰にでも優しいフェミニスト槙


思わず、槙の腕を掴んだセツさん、何を言おうと?

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金色の翼 第54話「肉親の鎖」 9月13日(木) [金色の翼]

少しづつ、謎が解けたり広がったりとお話事態が面白くなってきたので
これからは槙を中心にネタバレしない程度に疑問を書いてみたりして。
でも、ついいつもの調子でつっこんでしまいそう(汗)


槙兄の壇が島にいるかも知れない?
「案外近くにいるかもしれない?」という保科刑事の言葉の真意は?


槙ではなく修子さんが盗み聞きしてることが多いのは
事件の鍵を握る為? それとも・・・?


絹子さんは槙に揺さぶりをかけているだけ?


この字って・・・どこかで・・・


栄子さんも悪気はないと思うんだけど、槙は痛いよね
この痛みもまた兄を許せないことの要因ではあるのかも?


(手なんか組んでないで、どうせなら薔薇の花びら咥えてぇ~ ←ごりゃ~違うから)


やたらと靴跡について詳しい槙であった

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金色の翼 第53話「裏切り」 9月12日(水) [金色の翼]

「金色の翼」を見ていて、照明が妙に気になったことありませんか?
天井に輝く白熱灯
眩しいくらいの照明が何か意味ありげに頭上に輝いていることが多いんですもん。
色温度も全体的に高い印象です。

「美しい罠」の時はどちらかと言えば、色温度が低い感じで光より影を感じたものでした。

色温度(color temperature)とは、光の色を表すのに使用される値のことで、
蛍光灯や白熱灯などの照明、カメラ、ディスプレイなど
さまざまな機器において、光の色の基準として使用されています。

色温度の単位には「K(ケルビン)」が用いられ、これ以上温度が下がらない絶対零度(約−273℃)を0(ゼロ)とします。

色温度とは、白色光源の色の違いを示す指標のことを言います。色温度の低い光源は、赤みを帯び、暖かい印象を与えます。また、色温度の高い光源は、青みを帯び、冷たい印象を与えます。

朝日や夕日の色温度はおおむね2000K、普通の太陽光線は5000~6000Kぐらいで、
澄み切った高原の空の正午の太陽の光はおおよそ6500K、
ろうそくの光は、1900k、月の光は、4200kといわれます。

例えば、高温になった炭などは赤く発光しますが、太陽のような恒星が発光しているのもそれが高温だからなのです。

ですから、頭上のオレンジに光る明かりがイカロスの翼を溶かした太陽を表しているのではないかと思ったりもしています。
 
 
色には温度の他に、それぞれが持つ固有の印象があります。
有名なところでは赤は情熱やバイタリティーやエネルギー、
青は落ち着きや、リラックス、賢いイメージを与えてくれます。

その日、身につけたい色によって体調が分かったりもします。

「赤」    エネルギーを外へ発散したい。
「ピンク」  心が“幸せ”な時。
「オレンジ」 元気な時。
「茶色」   なんとなくスッキリしない。
「黄色」   コンディションがよい。
「緑」    愛情を求めているとき、寂しい。
「青」    心が静かに安定している。
「紫」    体調が悪い。
「白」    積極的、前向きな気持ち。
「グレー」  悩みや不安がある。

修子さんは、最初の頃は黒しか身につけていませんでしたね。

「黒」は、精神的に圧迫してくるものと闘おうとしている時。
人と交流して、感情がぶつかることは避けたいと感じているのです。
周りにプレッシャーをかけてくる人物がいると、その人を避け、
自分自身をしっかりさせ、毅然とした態度を保つため黒い物を身につけます。
(まま、修子さんみたい・・・)

また、黒を好んで着る人は外界との接触を断とうとしている場合が多く、周りの人は近寄り難い印象を受けます。

そういえば、槐も黒を基調に衣装がコーディネートされていました。
身につけている服の印象がそのまま人間性や考えさえも表現されていたのでしょうか。

しかし、黒には独特の癒しの効果があり、色みを全く持たない無彩色の黒や闇には刺激がありませんので、
緊張がほぐれ心身ともにリラックスする事ができます。
黒は光を吸収する色で、引き込まれていくように感じます。

そうそうそれで、ついつい槐に引き込まれたとか?(あははっ・・・小笑)

今回も、突っ込みの手をゆる~く抜いてます。
休日に時間があったら書き足すかも?
なので、またまたマッキーでお楽しみ(?)下さいませ。



修子さん、アゴがちとイノキボンバイエになってませんこと


「ハル、姉さんなんかいいじゃないか、俺がいる ちゅー」

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金色の翼 第52話「選択」 9月11日(火) [金色の翼]

あのー、本日も簡易版でございます。
えっ? そんなら別に無理してアップしなくてもいいって?
でもね、この金翼の更新は自分に課した苦行難行なのですよー。 ←コレコレ!!

最近、特にストーリーと関係なく槙ばっかり、キャプってるような??気がしますわ。
という訳で(どんな訳よ)マッキーのかっちょいい(?)姿でもお楽しみ下さい。



ぶははっ、何度見ても・・・


マッキーったらよくそんな真面目な顔して見れるねー ←やかましい!

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金色の翼 第51話「助けたいもの」 9月10日(月) [金色の翼]

もう、週の始めから忙しくてへろへろでございます。
頭もあまり回ってなくて、1日遅れでこの内容でやっとなのです。
しゅみまちぇーん。
では、簡易版ですが。。。(別名手抜きともいう)


何、睨んでんだよー


お前もなー

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金色の翼 第50話「謎の小説家」 9月7日(金) [金色の翼]

作家の絹子先生こと保科さんは、実は刑事だったんですねぇ。
って、そんなこと分かっとったわい!
もう、まんまやないかい!
少しは意外性ってもんがないのかー??

ここでは、ネタバレとか先読みとか基本的に書かないことにしてるので
いつもしれ~っと、右から~♪ 左へ受け流すぅ~♪ してましたが、
いたるところにヒントがあり杉だったんですもん。

3年前から滞在していたこと(日ノ原の事故とは無関係と推測)
杉浦夫妻が、どこかで会ったことがあるかもしれないと思ったこと
槙がブラジルでのことを知りたいと言った時、日ノ原邸の地図を用意できたこと
東京の修子の家をすぐに見つけたこと
修子の家に来た刑事が銀のロケットの件について口をすべらせ怒られていたこと
槙が証拠不十分で釈放された後、他の刑事の見張りがついてないこと
迫田に異常に興味を示していること

他にもねーいろいろと・・・。

槙の兄の事件のことを調べているんだろうとは思ってました。
だけど、8年前の事件なのになぜ3年前からなのか?
それが未だに謎なんですけどねぇ。

ところで、保科さん「警視庁捜査一課」の刑事だと言ってましたが、

警視庁は東京都を管轄する警察本部。
東京都公安委員会の管理の下、「都警察の本部として警視庁を置く」(警察法47条1項抜粋)こととされ、
警視総監がその事務を統括しますが、給与支払権者は東京都知事です。
東京都に属する地方行政機関で、他の府県警察が管区警察局を間に挟むのと異なり、
北海道警察と同じく、警察庁の直接監督下にあります。

捜査一課が扱う事件は、傷害、殺人、強盗、強姦、誘拐、放火、ハイジャックなどの凶悪犯、
航空機事故などの業務上過失致死など。

解決までに時間が掛かりそうな場合や、死後かなりの時間が経っていると判断された場合などは、本部捜査一課が事件解決に向けて活動を行います。

運営費用は、他の道府県警察と同様に、
警察法第37条や警察法施行令第2条、第3条の規定にあるものは国庫が支弁ないし補助し、
それ以外のものについては東京都が支弁します。

捜査一課に配属される為には、各署長の推薦を受けなければなりませんし
捜査能力はもちろん、面接試験で人格も厳しくチェックされます。
つまり、ここへ配属されるのは非常に難しいのです。

保科さん(絹子って本名?)は、とんでもなく優秀な刑事みたいですね。
それにしても、高級なホテルの宿泊代って、どこにそんな予算が??
オーナーも協力してないしさ。(ぶつぶつ・・・)
衣装もね、メガネもねっ。(ありゃ、趣味か?)←細かいこと突っ込むな!


ハルちゃんたら、酷い男だなぁ。子供作っちゃったのは初めてじゃないでそ?


ハルちゃんの危ないおめめ


ハルの心配? ほんと?

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金色の翼 第49話「仕返し」 9月6日(木) [金色の翼]

【サディズム(Sadism】は、加虐性欲ともいい性的快感をともなう加虐趣向、性倒錯の一種で、
極端な場合、精神的な障害とも見なされ、この場合は性的倒錯(パラフィリア)となります。

フランスの貴族(作家)マルキ・ド・サド(Marquis de Sade)の名前に由来しており、クラフトエビングが造語した用語です。
性的な倒錯として定義されましたが、後に加虐的な傾向一般をサディズム(Sadism)と言うようになりました。

サディズムの本質というのは、人間の肉体の性と精神の性(ジェンダー)が異なっているとき、この違いから生じる心理的葛藤を軽減するために、肉体の性が、精神の性を抑圧しようとする行為。すなわち、傍目には、他者を虐待しているように映ることもその内実、自分自身を虐待している行為でもあり、マゾヒズムと表裏一体なのでです。

なお、「ドS」という俗語は性的嗜好のサディズムとは違う意味で、
サディズム的な性格の人間(またはそのような振る舞いや考え)を指す言葉として使われます。
↑ 前回に引き続き、これ重要! 試験に出ます!(何の試験だ?)

多少のサディズム的な、あるいはマゾヒズム的な行為を試みること。。。
ま、プレイなどと称される行為はですね、文字とおり遊びの範疇であり、ドS・ドMなどとという言葉と並んで本質的なものではないのですよ。(ふふっ)

そういえば、高杉氏のイベントの時、「竜馬がゆく」の中で以蔵さまが拷問されるシーンが上映されましたが、M傾向の人は目をそらし涙まで浮かべる人もいましたし、S傾向の人は目を輝かせその口元には笑みさえ浮かべていましたねぇ。
もちろん、わたくし目を見開いて以蔵さまが拷問されるところと皆さんの反応を見て悦んでいたドSです(笑)

さて、話題を金翼の中のお話になぞらえるとするなら・・・。

子供のときに、虐待を受けたことなどによる深い心的外傷が、日常生活のなかで自然と癒されることは少なく、マソもサドもそこに発端があるのではないかと言われています。
また、サドがマゾを虐待している瞬間というのは、自分に起こった出来事を象徴的に再現することにより、その時の惨めな感情や自分が無意識の奥底に昔押し込んだ感情を、その相手に見い出している、という深層心理分析による仮説があります。

修子さんが虚しい気持ちで泣きながら酒を煽った様子というのは、奥寺に復讐したにもかかわらず、自分も傷ついたように見えます。
さらに、子供の頃の話や押し込めた感情を槙に聞かせるともなく話しました。
このことは、上記のようなことで説明がつくのではないでしょうか。

参考までに、サディズム・マゾヒズムにちなんだ書籍には、次のようなものがあります。

マルキ・ド・サドの代表作の『悪徳の栄え』(フランス・澁澤龍彦訳)です。

人生の目的はただひとつ、快楽という、悪の哲学を信じ、ひたすら残虐非道を繰り返す「悪の女」ジュリエットの物語です。
(いくら、悪女ものでも昼ドラじゃ、無理だろうな・・・ぼそっ)

また、歴史学者であり、作家でもあったザッヘル・マゾッホは小説「毛皮を着たビーナス」を書いています。

豪華な毛皮の外套を着て、ムチを手にする妖しい女性、そのムチの洗礼を待ち望む男・・・一種のセクシャル・ファンタジー?

ちなみに、マゾヒズムの語源については、石田衣良の小説「娼年」にも書かれていています。
(これは「池袋ウエストゲートパーク」などを書かれた、人気作家の作品なので読まれたことがあるかもしれませんが)

その内容は、大学生リョウの自身の体を売るという仕事を通した成長を描いたひと夏の物語。
リョウは優良「娼年」として様々な女性たちと出会い、娼年という職業に魅了されていく。
小説中にある「熱をもたない青い世界」という表現が、小説全体の情景を的確に表現しているように
その題名とは異なる透明感と清涼感、そして優しさに溢れている作品です。

金色の翼も終わりを告げる頃には秋の夜長が訪れます。
これらの作品を読んでみることで、妖しくも不思議な世界に迷い込んでみるのもいいかもしれません。

まずは、うふふっなシーンから

奥寺って、サディスト?


まんざらでもない顔しやってからにー


うほっ、手錠♪
ん? ところでこの手錠、途中で買ってきたの?
それとももしかして、持ってたの? まさか、槙と○○プレイしたとか? ←コレコレ!


馬乗りの修子さん、エロいよ~

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金色の翼 第48話「残酷な鞭」 9月5日(水) [金色の翼]

ハルちゃんが、鞭でやられてましたね。
槙は修子さんを縛ってましたし・・・って精神的にですが。
それでという訳でもないのですが、こんなことを。。。書いていいのかな?(もう書いてるけどさ)

マゾヒズム(Masochism)とは、性倒錯の一種で、肉体的精神的苦痛を受けたり、羞恥心や屈辱感を誘導されることにより性的快楽を得る心理状態のことで、極端な場合には、精神的な障害(パラフィリア)となります。
精神病学者クラフト・エビングによって『病的性心理』(1886年)という本の中で初めてこの言葉が使われました。
マゾヒズムの嗜好を持つ人を、「マゾヒスト(Masochism)」と呼ばれます。

エビングは、異性から辱められることによって性的な満足を得る人たちがいることを指摘し、
オーストリアの作家ザッヘル・マゾッホの描く人物がその典型であるとして、そのような病的性心理を、マゾッホの名にちなんで「マゾヒズム」と名付けたのです。

マゾヒズムとは何でしょうか?

理不尽と思える状況に直面したとき、「自分が我慢すればよい」と不当な圧力や要求に耐える人が存在します。
「囚われ」や「苦難を乗り越える」といった状況は、苦痛・圧迫を伴いながらも陶酔感や大きな達成感が得られるものです。
つまりどのような人間でも被虐嗜好的要素を持ち合わせているのです。

理不尽に他人から暴力を振るわれて、それでも「自分が悪かった」「自分が我慢すればいい」と考えるのは防衛機制ですが、
自罰的傾向のある人は、他者から与えられる身体的精神的な加虐によって、かえって心の安定が得られることがあり、
それがマゾヒズムへの趨向へつながるともいえます。

これらは受動的なマゾヒズムだと思えます。

能動的マゾヒズムについて分かりやすく書かれたこんな文章があります。

「サディズムやマゾヒズムはたしかにぼく等には理解しがたい異常な性的心理だと言えますが、
けれどもよく考えてみると、その底には 『愛する者をすべて所有したい』 『愛する人からすべて所有されたい』
という恋愛の感情が極端な形であらわれているのです。
それが肉欲となって姿をみせたのが ――サディズムともマゾヒズムとも言えるわけなのです」
(『恋愛とは何か』遠藤周作より)

「愛する者をすべて所有したい」「愛する人からすべて所有されたい」 という感情、
「愛する者との一体感」というものを正常な性欲の持ち主は、肉体的に一つになるいう手段によって得ようとしますが、
サド・マゾヒストの場合は、「儀式」(書きませんけど)によって得ようとします。

マゾヒズムとは「愛する人から支配されたい」「思い通りにされてみたい」という恋愛の感情・願望が極端な形で現れたもので、

魅力ある異性からの辱めを甘んじて受けることによって、「パートナーに全て所有されている自分」を感じることができること快感を覚えるのです。

例えば、
「跪いて足をお舐め」なんていう常套句がありますが(ココさまが言いそう)、その行為自体には、肉体的苦痛は伴わないのに
女性の足元に跪かせられて、足を舐めさせられるという、屈辱的で恥ずかしいマネをさせられることに、興奮を感ずる者も多いことから、それらは「痛いから」ではなく「恥ずかしいから」という精神的な苦痛による快楽だといえます。

縄で吊るされる、水につけられる(以蔵さまみたいにね)
鞭で打たれる(ハルみたいにね)、といったハードな行為はかなりの疲労と興奮をもたらし、
脳内麻薬物質の分泌が盛んになり、いわゆる「ハイ」な状態が起こります。
これが、マゾヒストの快感の源だとする説があり、実質的な行為がなくとも、状況を想像するだけで陶酔感が得られるという人もいます。

なお、「ドM」という俗語は性的嗜好のマゾヒズムとは違う意味で、
マゾヒスト的な性格の人間(またはそのような振る舞いや考え)を指す言葉として使われます。
↑ これ重要!

上記のことから考えるに、
修子さんの場合は「自分が我慢すればいい」という考え方が随所に感じられ、受動的なマゾヒズムだとも考えられます。
槙はサディズム的に『愛する者をすべて所有したい』と見せていますが、
彼もまた、「愛する者との一体感」をマゾヒズム的に求める傾向があるように思いませんか?

で、次回は「マゾヒズム」についてです。(って、わたし何を書いてますかね?)


理生さん「こんな時間に」って、お前もなって感じですけど


「5分だけ」とか言っちゃって、微妙に優しいんだからー


歩くのはやっ! 背景がピンボケるじゃん

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